笠神(かさがみ)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-2322。

地理

北は本埜小林、将監、松木、北東は中田切、下井、東は酒直卜杭、長門屋、甚兵衛、立埜原、南東は和泉屋、佐野屋、川向、南は押付、下曽根、行徳、南西は中根、滝、西は物木、北西は小林、物木に隣接している。

小字

小字は以下の通り

  • 新畑(しんばた)
  • 細割(ほそわり)
  • 鳴戸(なると)
  • 埜畑(やはた)
  • 八畝(はっせ)
  • 下埜畑(しもやはた)
  • 下鳴戸(しもなると)
  • 下細割(しもほそわり)
  • 川向(かわむかい) - 一部が川向となる。
  • 南川向(みなみかわむかい)
  • 南前(みなみまえ)
  • 五斗蒔(ごとまき)
  • 下五斗蒔(しもごとまき)
  • 東前(ひがしまえ)
  • 舟戸(ふなど)
  • 根古屋(ねごや)
  • 笠神前(かさがみまえ)
  • 下池(したいけ)
  • 町田(まちだ)
  • 作万橋(さくまんばし)
  • 界田(さかいだ)
  • 須賀前(すかまえ)
  • 井谷里(いやり)
  • 丸沼(まるぬま)
  • 丸沼中通(まるぬまなかどおり)
  • 徒越(かちごし)
  • 梵天地(ぼんてんち)
  • 沖田(おきだ)
  • 長町(ながまち)
  • 湯賀池(ゆがいけ)
  • 中池(なかいけ)
  • 馬渡(まわたし)
  • 郷(ごう)
  • 向辺田(むかいへだ)
  • 金剛院(こんごういん)
  • 下徒越(しもかちごし)
  • 出津(でづ)
  • 野原(やわら)

歴史

江戸期は笠神村であり、下総国印旛郡印西領のうち。寛文3年から幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から淀藩領。なお、天明6年印旛沼干拓事業に際し、一時期上知され幕府領となっている。慶長7年に検地が行われ、村高384石余、延宝元年の新田検地で笠神埜原開発分516石余加増、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに901石余。天保14年明細帳によれば、反別125町8反余、ほかに藩御用林1か所2町8反余、白井村・我孫子村の助郷村。なお、享保8年「淀領郷村帳」によれば、本年貢のほかに野手米1石5升・夫役永1貫873文7分・百姓林銭永35文を上納している(田辺家文書)。明暦2年埜地をめぐる小林村との争論で当村百姓3名が極刑となるが、埜地が当村の帰属となり、のち三義人として供養された(印旛郡誌)。神社は愛宕明神・鳥見明神・蘇波鷹明神・笠神宮・熊野権現、寺院は天台宗南陽院・性善院・戒行寺など。明治6年千葉県に所属。明治22年本郷村の大字となる。

年表

  • 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し、竜腹寺村、笠神村、中根村、滝村、物木村、荒野村、角田村、惣深新田飛地が合併し印旛郡本郷村が発足。本郷村大字笠神となる。
  • 1913年(大正2年)4月1日 - 本郷村・埜原村が合併し、本埜村が発足。本埜村笠神となる。
  • 笠神字川向の一部が川向となる。
  • 2010年(平成22年)3月23日 - 印旛村・本埜村が印西市に編入。印西市笠神となる。

世帯数と人口

2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである。

施設

  • 印西市役所本埜支所
  • 印西市立本埜中学校
  • 本埜学校給食センター
  • 本埜保健センター
  • 印西警察署本埜駐在所
  • 笠神青年館
  • 向公会堂
  • 下井公会堂
  • 南陽院
  • 弁天堂
  • 下井鳥見神社
  • 愛宕神社
  • 熊野神社
  • 日枝神社
  • 浅間神社
  • 蘇羽鷹神社
  • 笠神社
  • 笠神機場
  • 笠神補給機場

交通

道路

  • 都道府県道
    • 千葉県道291号印西印旛線

脚注


印西市笠神(旧の本埜村)の白鳥の郷へ、ついでに昔の貝化石産地を眺めに なんだかんだの石集めと与太話

印西大師・印西地区の大師堂巡拝 中根の観音堂(85番)&笠神の辻堂(71番)&笠神の表前観音堂 YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ

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