大田原 広清(おおたわら ひろきよ)は、下野大田原藩の第12代藩主。

文政13年(1830年)8月9日、第11代藩主・大田原愛清の次男として生まれる。弘化2年(1845年)5月27日に世子に指名され、弘化3年(1846年)12月16日に従五位下・出雲守に叙位・任官する。弘化4年(1847年)3月10日の父の隠居により家督を継ぐ。

嘉永4年(1851年)4月12日に江戸藩邸で死去した。享年22。跡を養子の富清が継いだ。

系譜

父母

  • 大田原愛清(父)
  • 律姫 ー 松平忠彊の娘(母)

正室

  • 黒田長韶の娘

養子

  • 大田原富清 ー 九鬼隆都の次男



大田原藩

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